banner-recommend-ikema banner-recommend-tokushige banner-recommend-murakami

ワイン老舗ブランド「ハーディ」物語

ワイン老舗ブランド「ハーディ」物語

ワイン老舗ブランド「ハーディ」物語

現在、オーストラリアは世界の4番目に大きなワイン輸出量を誇っており、その量は毎年約7億5000万リットルである。そしてその半分以上は、南オーストラリア州に位置するアデレード市より車で2、3時間離れた場所で生産されている。

国際機構バイン&ワイン(OIV = the International Organisation of Vine and Wine)の統計によると、オーストラリアのワイン生産は世界7位ながら、輸出量は前述のとおり古くから「ワインの国」として知られるイタリア、スペイン、フランスに次いで4位となっている。

話は1850年に遡る。

イングランド南西部の活気のなかったデヴォン州から、1人の青年がオーストラリア行きの船に乗り込んだ。彼の名前はThomas Hardy。その青年は独力では活躍できなかったものの、後にその名前はオーストラリアワインに最も密接に関わった1人として世界中から認められたのだった。

Thomas Hardyの孫・Bill Hardyがミャンマービジネストゥデイに対し、その歴史を語ってくれた。

 

ハーディブランドの始まりは、小さなバッグにつめた荷物から

僅かな荷物をバッグに詰めたハーディの行き先は、アドレード行き。

そこで農場を営むJohn Reynell氏と出会い、家畜を養い、穀物を育てて整形を立てる生活を始めた。その後、オーストラリアがイギリス植民地として2年が経った1838年、Reynell氏はワイン製造を始めることとなるのであった。

当時のHardyの日記には、「最初の週でいきなり牛を2頭死なせてしまい、近隣の農民からは『見ろよ、なんて酷い牛なんだ』と言われた。そういった問題とは無縁のブドウ畑の仕事をする羽目になりそうだ。」と書かれていた。

「祖父の起業家精神は、当時勃興していたゴールドラッシュ(1850年からの10年で100万人もの人々をオーストラリア大陸に流入させることになった。)に影響を受け、国境をまたいだオーストラリア・ヴィクトリア州に向けられました。しかし金は結局見つけられず、彼は鉱山労働者の食に目を付け、小規模の肉屋の準備して歩き回っていたそうです。」

Thomasは精肉事業で約3年牛を屠殺する日々を送り、南オーストラリア州に戻って柑橘類、オリーブ等のジャム生産、そしてワイン生産が出来る農場を準備をするため十分な資金を貯めていった。そして、Thomas Hardys社は会社の他業種から徐々にワイン専門での操業となっていく。それ以来、構成要素は少しずつ変わっているものの、企業内では血縁関係の繋がりの深さがあり家族経営は実に139年続いた。

 

139年続いた家族経営からの転機と急伸

2013121910-2転機は1992年だった。ベリリンマノ社との連携でBRLハーディ社となり、オーストラリア証券取引所に上場ようやく他投資家への開放が決定した形となった。

「当然私達家族の報酬や保有率は落ちましたが、会社としての成長は著しく速くなりました。2003年には『世界最大の取引量を持つワイン会社』として知名度も飛躍的に上がり、そこから11年で株式は1ドルから10.50ドルまで伸びていったのです。」

2011年に、ニューヨークのワイン会社「コンストレーション・ブランズ」は所有していた未公開株を安定した販売戦略を誇るオーストラリア「アコレード・ワインズ」に売却。

「私は実際アコレード・ワインズとハーディの両会社の名刺を持っています。ただし、やはり最初に差し出すのはハーディのほうですけどね。」アコレードの株は圧倒的な成長を続け、今やオーストラリア、南アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなど世界中のワインを取り扱うまでになっている。しかし、その中でもハーディはグループ総売上の約半分を占めるほどの巨大ブランドとなっている。

ただ、ワイン一色の家庭環境に育ちながらもビルは決してこの業界のことで経歴を描こうとは思わなかったと言う。

「私の仲間がサーフィンしてたから、私もサーフィンをして。私の仲間がビールをあおっているから、私もビールを飲んで。そもそも、私はワインなんて好きじゃなかったんです。ただ、大学2年の時に在籍していた課程で農業について研究をすることになったんです。父(James Hardy)は少しファンタスティックな人で、家族経営に入れてくれと頼み込んだら『家族が経営に加わってくれなかったら、家族経営じゃないよ』と返されましたよ。」

 

ミャンマー展開「その分野を引っ張っていく存在になることは可能」

ハーディブランドはここ約8年の間、ミャンマーでも販売が進められている。

調査機関「ユーロモニター・インターナショナル」によれば、アジアのワイン市場は今後数年間で急激な成長が見込まれており、2012年中国のワイン市場は前年比20%増の410億ドル規模に達したという。そして、先に行われた5週間の企業向けアジアツアーでBillはヤンゴン・トレーダーズホテルでの晩餐会に参加しておりミャンマー内でのさらなるブランド展開も示唆していた。

「もし、ある市場の早い内に進出してきたグループのうちの1つであれば、その分野を引っ張っていく存在になることは可能なんです。もちろん私たち自身も、ハーディという名前がこの地で、オーストラリアのワインが関わっているのだという状況を見たい。ワインは元来入ってしまえば伸びて行きやすい商品ではあります。ここ東南アジアでは、地元住民のライフスタイルの向上と共に溶け込んで成長している印象です。

私は、発展の過程にある人々は『世界傾向や西よりのトレンドに目が向けているのではないか』『世界傾向や西よりのトレンドを、文化的なものとしてカテゴライズしているのではないか』と感じている。したがって、ワインというのは成功の一例で他に余地はあるし、アジアでの消費市場拡大は当面目の当たりに出来るものと考えています。」

 

定着はすぐにはしないもの

ハーディを含む各国のワインを販売する「プレミアム・ディストリビューション」で管理等を行うJames Marsden氏は、「ミャンマー国内でのワイン消費量増加というのは確かに見られたが、大きな転換期というのは長い時間を伴う」との指摘を残している。

「私も変更にはそれなりの時間を要するという認識。ただ、オーストラリアのワインは成功談を持っていて、幸いにもここミャンマーに上陸したワインの1つなんです。オーストラリアの次にフランス・イタリアのワインが続いている状況なので、もう既に比較的ポピュラーなものとして受け入れられやすいのが強みがあります。

一方で、こうした挑戦の1つは地元住民の思う『ワインって何?』という素朴な疑問に答えを提示する一助になっているんです。ワインの銘柄・スタイルはかなりバラエティに富んでいて、ビールやスピリッツと比較しても、遥かに広大な世界で種類をコンプリートすることは難しいので。

ワインはどんな食べ物でも、それに呼応する様に合うワインがあります。同時に、ワインが進むオリジナルの方法を知ってたらぜひ色々な人に広めて欲しい。そんな楽しみ方も出来るのがワインです。」

 

記事番号:2013121910
【2013年12月19日(ヤンゴン)記者:Oliver Slow】

ホームに戻る